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志太のイベント情報詳細

焼津ゆかりの幕末の志士 村松文三の生涯をたどる講演会

開催期間:2006年06月24日
開催時間 14:00〜15:30
会場 [焼津市] (3階 第1・2会議室)
お問い合わせ先 焼津市 歴史民俗資料館
TEL:054-629-6847
お問い合わせE-Mail
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資料

イベント内容

郷土ゆかりの幕末の志士「村松文三」に関する公開講座「焼津の快男児 草莽の志士 村松文三」を6月24日に開催します。村松文三の波乱万丈の生涯を焼津市文化財保護審議会副会長である近藤梅夫さんに公演していただきます。

定員:120人

料金:無料

詳しい内容は、問合せ先にてご確認ください。

村松文三の生涯:村松文三知之は、1828(文政11)年、幸崎管中の次男として現在の伊勢市に生まれました。父の幸崎管中は大塩平八郎の門下であり、1837(天保8)年の「大塩平八郎の乱」に加わったとされています。文三は気性が激しかったものの幼少より学問を好み、13歳のころから全国各地を行脚して藤田東湖(尊皇攘夷派の信望を集めた幕末の水戸学者)や僧月性(幕末の詩僧で尊王論・海防論を説いた)などに学びました。その後、諸学に通じると名高い藤枝の医師井出拙斎のもとを訪ねます。文三の学才を惜しんだ拙斎からは、焼津の医師である村松玄庵の跡を継ぐことを望まれ、玄庵の次女阿菊(菊子とも伝えられる)と結婚。村松家を相続しました。尊皇攘夷の気運が高まる中、文三もついに家を出て、下田や江戸、三河、京都などで国事を画策し、1859(安政6)年の「安政の大獄」の際には江戸に逃れました。その後、1863(文久3)年の「天誅組の変」やその翌年の水戸天狗党の挙兵などにも加わるも難を逃れ、各地に潜伏しながら放浪。明治維新後は、短い期間公職に就きましたが、1874(明治7)年に焼津で生涯を閉じました。
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