この本には、志太広域の伝統産業を過去から現在にわたって調査研究し、写真・図版などをなるべく多く用いて誰にでも興味を持って読むことが出来る冊子を作成し、広くこの地域の人々に呼んでいただき、地域の活性化にソフト面から役立てたいという願いが込められています。
志太地域にはさまざまな伝統産業があり、その基盤は江戸時代の初期に築かれました。慶弔十年(一六〇五)、将軍職を秀忠に譲った徳川家康は、二年後の慶弔十二年(一六〇七)に駿府(静岡市)に移り住み、以後、大御所として徳川幕府を支えていました。元和二年(一六一六)家康が逝去した後、二代秀忠と三代家光の代にわたって、静岡浅間神社造営のために、全国各地から名匠・名工が集められました。そして、そのときの、職人の一部が志太地域に住み着いて、さまざまな伝統産業が形成されていきました。 |
私たちの住む志太地域は、北部に赤石山脈に連なる山々、南部に駿河湾を臨む大井川左岸の平野部に位置しています。縄文時代にはここに人が住み、『万葉集』中ですでに「志太」という地名が詠まれています。この豊かな自然と古い歴史にはぐくまれ、さまざまな伝統産業が発達し、志太地域の経済発展の主流を担ってきました。これらの先人たちが築いてきた資源を後世に伝え残し、その生い立ちから現代までの記録を収集し解説することを目的に発刊したのが『志太ふるさと文庫−志太の伝統産業』です。 |